デンマークで見つけた1つのあり方(being)
前回の記事をO先生に送ると「自分の原点とすべき教員としての『構え』を見つめられた気がします。」という返事が来ました。先生の言う構えとは、おそらく生徒や先生との関係性における、自身の「あり方」のことだと思いますが、私もO先生にならい、コーチとしてのあり方を整理してみました^ ^
「聴く」「質問する」「フィードバックする」が、コーチの役割として、何をするか(doing)の部分であるとすれば、私の考えるあり方(being)は、次の3つ。
- 「信じる」
自己と他者を信じる。課題を解決するのに十分な資源が、わたしたちには既にあるということ。 - 「引き出す」
人の内側にある考えや想い経験などを顕在化し、表現していくことに最大限コミットする。当事者が気づいていない部分を「みーつけた!」する、鬼ごっこの鬼役のようにいること(笑 - 「エンパワメント」
“自分でやってみたい!できる!”と思える自己信頼とその術を手に掴む状態へ導くこと。導くと言っても、人の可能性の芽に水をやり、太陽の光を注ぐ感じ。
*3つのbeingを一緒に考え、整理してつくりあげてくれたM.Saitoコーチに感謝^ ^
デンマークで見つけた1つのあり方
2月は人知れず?極寒のデンマークへ、「フォルケホイスコーレ」という学校の視察に行ってました。ここでは、そこで出逢った校長先生OLE(オーレ)の話を紹介します。
「太陽」のような佇まい
OLE(オーレ)の第一印象は、地に根を深く張り、枝を広げた樹木のような構えのある人。白ひげを蓄え、恰幅のよい姿もそれを助長させます。オーレに1時間のインタビュー時間をもらい、客室の茶色いソファに腰をかけ私たちは話し始めました。私にとって、えも言われぬ安心感と、思考の広がりを感じる不思議な時間が流れていきます。
彼の言葉を借りると、オーレのあり方は次のようになります。
(正確に表したいので英語のまま記載)
- I’m here for YOU. You are not be here to follow me.
- we are the same human being even we have a job description or any labels.
- We learn how to be together.
we are allowed to open meeting between different culture. - We can make a decision together.
You do make your own decision. Don’t let me make it. - Talk, Talk,Talk and discuss a lot. Let me know about you.
記憶に残るオーレ言葉
-
「僕は校長という役職がついていて、その仕事を全うしたい。同時にOLEという一人の人間だ。さっきこの部屋にいた女性は学校の清掃業務をしている。彼女は最高に素敵な人で僕の友人だ。君もSatomiという一人の人間。この場では、同じ人として、せっかく出逢えたこの時間を、共にいようじゃないの。」
- 「君はあまりにも礼儀正しいね、きっとDNAのせいだね。ロボットのようだけど(笑)それもわかる、それでOKだね。」
- 「ここでは”Honest answer”を出していいんだよ。僕はそこが知りたい。共にいながら、生きる術を知るんだ。」
オーレから「がんばれよ」とか「大丈夫だ」と直接的な言葉をいただいたわけではないけれど、言葉以上のギフトがありました。彼から無意識的に作用してくるもの全て、一つひとつに感動している自分がそこにいて、涙が出そうなほどの感動を味う体験となりました。“HUG without touching.”です^ ^ オーレと私の間にやさしい繋がりが出来上がったら、それ以上のエンパワメントは無いのではないかとさえ思いました。彼を「太陽のようだ」と感じたのは、お互いの関係に暖かさを感じたからかもしれませんね。
オーレとの対話の場から分かるものをもう少し書くと、
- 私の状態を考慮して関係をつくりはじめてくれた
- 彼の誠実さに私は信頼をよせた
- 彼の敬意をもった構えが私はうれしかった
- 彼の思惟・思想、会話の内容への共感度も高かった
こういったことが起こっていたのではないかと思います。
人のあり方(being)がもたらすものとは?
“一人ひとりが活き活きとし、働く幸せを感じる職場をつくりたいと願うならば、そのような価値を提供できる様に日々の関わりを自ら実践すること”
[「入門 組織開発」著:中村和彦]
オーレは、学校にいる間、生徒や先生一人ひとりとよ〜く話します。かなりフラットに。また、先生同志でフォルケホイスコーレの教育思想や、学校のビジョンについて考え議論することを大切にしていると教えてくれました。
なぜ、その機会を大事にしているのかという私の問いに対して、「彼らがそこにいるからだよ。(because they’re there.)」と迷いない答えが返って来たとき、その学校の正体が見えたようにも思いました。”本当に”人を中心として学校、その小さなコミュニティがつくらているのでしょう。きっと。驚き桃の木山椒の木です。
校長OLE(オーレ)と、学校全体が人間らしい活力で満ちていたこと。その活力や、そこで学び得られるものは、デンマークという国の歴史や文化、その場の独自性がもたらすものであることも事実でしょうから、日本に戻って来てしまった私が、ここで再現できるかと言えば限りなく不可能かもしれません。それも良し、新たに探ればよし。
冒頭に、コーチとしての私のあり方を3つ書きました。もっともっとシンプルに言えば、わたしはOLE(オーレ)のような、周りを照らす太陽の存在でありたいと思っています。そうそう、お茶目な太陽。今はその理想に向かって日進月歩!!アングラな日々も、ぐらんぐらんに思考も感情も揺らされる日も、地に深く根を張り枝を広げる準備期間^ ^
- 2017.3.18 -
●参考●Brenderup Hojskole/フォルケホイスコーレ(Guset studentとして参加)
はじまりの話2
ことはじめ
/コーチの一歩目
3年半前、今日のわたしに至る先生との対話を振返って書いています。
O先生へ心より感謝を込めて。
O先生とのCoaching Sesionは電話を介してはじまりました。
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校長の立場で活躍されてきたO校長先生。学びの共同体研究会に熱心に参画され、自校で学びの共同体の授業改革に取組む新進気鋭な先生です。長年を子どもたちと共に過ごし、ピカピカに磨かれたO先生の眼鏡を通して教育や学校を捉えていくことに、当時、私の好奇心は強まっていました。
(大げさに聞こえるかもしれませんが、私は誰かの話を聴くとき、その場から自分の感情や思考が薄まり、何かのセンサーだけを内服してただ居る存在に近くなります。相手のスコープを通して、もしくは相手の身になって世界を認識しようという傾向が強まるということです。その感覚は異国を旅している時の自然に身を任せた純粋な探求に似ています。コーチとしては、相手の置かれている状況や思考を客体化し、思考をその先に進める視点を届けるためにも、私が”旅人”をしてはいけないのでしょうけど。汗)
さて、わたしの第一声は「こんばんは」と、いつも以上に大きな声だったことを覚えています。電話の向こうから「よろしくね」と言葉が返ってきたとき、その声の溌剌さは、それまでの私の緊張も怖さも帳消しになるほどのものでした。O校長先生を知る対話の旅が始まりました。
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コーチの役割として最も重要なのものは、対話(Coaching conversation)を通して相手を前進させること。コーチングは相手の目標達成に向けてスキルや能力を身に付けていくプロセスであり、「ああしなさい、こうしなさい」でなく「こんなことを、こんな風にやりたい」という内発的な思いや行動を引き出す関わりのこと。
O先生の「つくりたい学校の最高の姿」を対話のテーマに、先生の意志とそのイメージを話してもらいました。いくつかの関心事とその背景、O先生にとっての意味をじんわりとひも解く時間を経て、先生から出てきた言葉はつぎのものです。
「教員一体となってつくる学校を目指したい」
「教員のみんなが自負や自信を持ち、もっと実践している姿を増やしたい」
新進気鋭で、(自称)おしゃべり好きなO校長先生が周囲に与える影響は大きく、教員の中には、O校長の意見やアイディアを受動的に受け取ったままの先生や、指示待ちの姿勢から変われない先生がいることにO校長は課題を感じていました。
「教員同士で話し合い、必要なときに助け合い、自ら事を押し進められる先生」
そんな姿を周囲の先生たちへ期待し、校長として応援したいと考えていることや、その状態に先生たちを導いて行く過程に校長先生自身の葛藤があることを話はじめると、一方で、”既に十二分に頑張っている先生たちの姿”を思いながら、校長からの期待がネガティブなプレッシャーとならないように、教員の意気込むエネルギーの方向性を変えていきたいと言葉を紡いでいきました。
O校長の周囲の先生に対する姿勢は、子どもたちへ学びの場づくりに対するスタンスと同じでもありました。「ここまではやるよ。教えるよ。さあ、この後は君たちがやっていくんだよ。」という役目です。
O先生の言葉が次々と湧き出てくる時間がある一方で、対話の流れが止まる沈黙の時間もあります。当時、わたしは沈黙に対する恐れがあり、「的外れなことを聞いてしまったのではないか、失礼なことを聞いたのではないか」など、沈黙によって生まれる不安を自分の胸の奥で押し止めて先生の言葉を待っていました。そんな恐怖は今考えると自分を守るために生まれた未熟な迷いだなと思えます。
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「自分の考えを言葉として出せることがうれしい。」
「今までの経験の中で、ずいぶんと忘れていた事を思い返す時間だった。」
「普段何を関心事として考え、実際にどうしているかを話しながら気づいていけた。」
一回目のSessionの最後にO先生からいただいた感想は、私にとって、コーチの存在に手触り感ある意味をつけてくれるようなうれしい言葉でした。
O先生は、さっそく試したい取組みが出来たと言って、「教員向け校内通信にメッセージを書いてみようと思います」とも話してくれました。
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これが私のコーチとしての「ことはじめ」です。当時を振返ると、O先生が私を信じて心を寄せて話してくれたお陰で、対話もそこから生まれる物事も成立したと思っています。
その後、O校長とのSessionは半年つづき、いくつになっても学び、成長できることのよろこびを共有することになります。
(※本記事は2013年当時の対話ログをもとに作成しています)
はじまりの話
/コーチの一歩目
冒頭)“Everyone needs a coach.
It doesn't matter whether you're a basketball player,
a tennis player, a gymnast or a bridge player...“
●Image picture: Artist/Yasuhiro Suzuki