1986WORKS

ゆっくりした心持ちで、多くの光や風をとりこむ様に。学びと対話のLog。

はじまりの話2

ことはじめ
/コーチの一歩目


3年半前、今日のわたしに至る先生との対話を振返って書いています。
O先生へ心より感謝を込めて。

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O先生とのCoaching Sesionは電話を介してはじまりました。


校長の立場で活躍されてきたO校長先生。学びの共同体研究会に熱心に参画され、自校で学びの共同体の授業改革に取組む新進気鋭な先生です。長年を子どもたちと共に過ごし、ピカピカに磨かれたO先生の眼鏡を通して教育や学校を捉えていくことに、当時、私の好奇心は強まっていました。

(大げさに聞こえるかもしれませんが、私は誰かの話を聴くとき、その場から自分の感情や思考が薄まり、何かのセンサーだけを内服してただ居る存在に近くなります。相手のスコープを通して、もしくは相手の身になって世界を認識しようという傾向が強まるということです。その感覚は異国を旅している時の自然に身を任せた純粋な探求に似ています。コーチとしては、相手の置かれている状況や思考を客体化し、思考をその先に進める視点を届けるためにも、私が”旅人”をしてはいけないのでしょうけど。汗)

 

さて、わたしの第一声は「こんばんは」と、いつも以上に大きな声だったことを覚えています。電話の向こうから「よろしくね」と言葉が返ってきたとき、その声の溌剌さは、それまでの私の緊張も怖さも帳消しになるほどのものでした。O校長先生を知る対話の旅が始まりました。


コーチの役割として最も重要なのものは、対話(Coaching conversation)を通して相手を前進させること。コーチングは相手の目標達成に向けてスキルや能力を身に付けていくプロセスであり、「ああしなさい、こうしなさい」でなく「こんなことを、こんな風にやりたい」という内発的な思いや行動を引き出す関わりのこと。

O先生の「つくりたい学校の最高の姿」を対話のテーマに、先生の意志とそのイメージを話してもらいました。いくつかの関心事とその背景、O先生にとっての意味をじんわりとひも解く時間を経て、先生から出てきた言葉はつぎのものです。

「教員一体となってつくる学校を目指したい」

「教員のみんなが自負や自信を持ち、もっと実践している姿を増やしたい」

新進気鋭で、(自称)おしゃべり好きなO校長先生が周囲に与える影響は大きく、教員の中には、O校長の意見やアイディアを受動的に受け取ったままの先生や、指示待ちの姿勢から変われない先生がいることにO校長は課題を感じていました。

「教員同士で話し合い、必要なときに助け合い、自ら事を押し進められる先生」
そんな姿を周囲の先生たちへ期待し、校長として応援したいと考えていることや、その状態に先生たちを導いて行く過程に校長先生自身の葛藤があることを話はじめると、一方で、”既に十二分に頑張っている先生たちの姿”を思いながら、校長からの期待がネガティブなプレッシャーとならないように、教員の意気込むエネルギーの方向性を変えていきたいと言葉を紡いでいきました。

O校長の周囲の先生に対する姿勢は、子どもたちへ学びの場づくりに対するスタンスと同じでもありました。「ここまではやるよ。教えるよ。さあ、この後は君たちがやっていくんだよ。」という役目です。

O先生の言葉が次々と湧き出てくる時間がある一方で、対話の流れが止まる沈黙の時間もあります。当時、わたしは沈黙に対する恐れがあり、「的外れなことを聞いてしまったのではないか、失礼なことを聞いたのではないか」など、沈黙によって生まれる不安を自分の胸の奥で押し止めて先生の言葉を待っていました。そんな恐怖は今考えると自分を守るために生まれた未熟な迷いだなと思えます。

「自分の考えを言葉として出せることがうれしい。」
「今までの経験の中で、ずいぶんと忘れていた事を思い返す時間だった。」
「普段何を関心事として考え、実際にどうしているかを話しながら気づいていけた。」

一回目のSessionの最後にO先生からいただいた感想は、私にとって、コーチの存在に手触り感ある意味をつけてくれるようなうれしい言葉でした。

O先生は、さっそく試したい取組みが出来たと言って、「教員向け校内通信にメッセージを書いてみようと思います」とも話してくれました。

これが私のコーチとしての「ことはじめ」です。当時を振返ると、O先生が私を信じて心を寄せて話してくれたお陰で、対話もそこから生まれる物事も成立したと思っています。

その後、O校長とのSessionは半年つづき、いくつになっても学び、成長できることのよろこびを共有することになります。

(※本記事は2013年当時の対話ログをもとに作成しています)